復活節第7主日(昇天後主日) 『私たちを御国に招く主イエス様』
本日は復活節第7主日(昇天後主日)、高崎の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所は、使徒言行録16:16-34、詩編97、ヨハネの黙示録22:12-14・16-17・20-21、ヨハネによる福音書17:20-26。
説教では、主イエス様がすべての人の一致と御国に招くことを祈っていることを知り、私たちもこの祈りの心を私たちの心として、日々の信仰生活を歩み続けていけるよう祈り求めました。
聖卓の左右のギリシャ文字、アルファ(Α)とオメガ(Ω)の意味や奉献時に歌った聖歌498「主われを愛す」の歌詞を活用しました。
本日の説教原稿を下に示します。
<説教>
主よ、わたしの岩、わたしの贖い主、わたしの言葉と思いがみ心にかないますように。父と子と聖霊の御名によって。アーメン
去る5月24日(土)に八幡霊園内教会墓地でS・A兄とO・T兄の埋葬式(納骨式)が執り行われました。18名の参列者により、お二人の写真等からお二人の在りし日の姿を思い出しながら祈りを捧げました。当日は未信徒の方も多くいらっしゃいましたので、キリスト教における「死」の考え方等についても以下のように話しました。
「キリスト教では、私たちは父なる神様のおられる天の御国からこの世に派遣され、使命を果たした時にこの世の生を終え、故郷である御国に帰ると考えています。そこで「帰天」という表現をしています」と。
オーガスチン教会の墓地の墓石には「帰天」でなく「昇天」という表記がされていますが、その意味は先ほどの本主日の特祷に示されています。
私たちはその特祷の中で「御子イエス・キリストに永遠の勝利を与え、天の御国に昇らせられた栄光の王なる神よ、どうか私たちを助け手のないものとせず、聖霊を降して強めてください。そして救い主キリストが先立って行かれたところに昇らせてください。」と祈りました。つまり、父なる神様が御子イエス様を天の御国に昇らせたように、私たちもそこに昇らせてください、ということです。高崎の教会ではその思いを大事にして、墓石に「昇天」と記しているのだと思います。
さて、本日は復活節第第7主日(昇天後主日)です。今年は復活日が4月20日で、先週の木曜が40日目で昇天日、本日はその直後の主日です。そして来週の日曜日が聖霊降臨日となります。今日私たちは、昇天日と聖霊降臨日の間にいます。受付にある小冊子「み国が来ますように(Thy Kingdom come)」という「祈りのしおり」では第4日目に当たります。毎日この冊子を用いることで、主の御心を知り祈りの姿勢を整えることができますので、ぜひご活用下さい。
本日の福音書箇所はヨハネによる福音書17:20-26です。告別説教(13:31-16:33)に続くヨハネ福音書17章は、「大祭司の祈り」と呼ばれています。イエス様は、神様と人との間に立ち、とりなしを願う大祭司のように、この世に残していく弟子たちのために祈っています。本日の福音書の中で、イエス様は、父なる神様とイエス様が一つであるように弟子たちも一つとなるように、そして、すべての人を父なる神様とイエス様の内にいるようにしてくださいと、父なる神様に祈っておられます。イエス様ご自身が弟子たち、さらには、私たちのために「とりなしの祈り」(代祷)をしてくださっているのです。
本日の福音書を解説を加えて振り返ります。
最初の20節でイエス様は、「また、彼らについてだけでなく、彼らの言葉によって私を信じる人々についても、お願いします。」と祈られました。この「彼らについてだけでなく」の「彼ら」とは、目の前にいる、11人の直弟子たちのことです。「彼らの言葉によって私を信じる人々」とは、直弟子たちの言葉によって、イエス様のことを信じた人々、さらに、直弟子だけでなく、その後にイエス様を信じて語った人たちの言葉を聞いて信じたすべての人々のためにも願い、祈っておられます。そこには、今を生きる私たちも含まれています。
そのイエス様が、父である神様にお願いされた内容は、今日の福音書の中で、2つの祈りとして記されています。その第一は、次のような祈りです。21節~23節です。
「父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らも私たちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたが私をお遣わしになったことを信じるようになります。あなたがくださった栄光を、私は彼らに与えました。私たちが一つであるように、彼らも一つになるためです。私が彼らの内におり、あなたが私の内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたが私をお遣わしになったこと、また、私を愛されたように、彼らをも愛されたことを、世が知るようになります。」
今、読みました祈りの中に、「一つになる」という言葉が、5回も出ています。さらに「内にいる」という言葉が、4回、記されています。
「一つになる」という言葉は、ばらばらになって散らばっている状態から、その散らばったものを集めて一つにするとか、沢山あるものを、だんだん、まとめていって、やがて、一つにするという意味です。
しかし、イエス様が願っておられる「一つになる」とは、「私たちが一つであるように」と、父である神様と、子であるイエス様との関係が「一つであるように」、ずっと、初めから今に至るまで、いや未来永劫にいたるまで、「一つであり続ける」そのような状態のことです。
そして、このイエス様の言葉は、人々の間の一致は何よりも、人間の努力の結果というよりも、天からの賜物であることを示していると考えます。
なお、「あなたがくださった栄光」とは、キリストの十字架による救いであります。それが私たちに与えられているのです。
次の、イエス様が父である神様にお願いされた第二の祈りはこうです。24節~26節です。
「父よ、私に与えてくださった人々を、私のいる所に、共にいるようにしてください。天地創造の前から私を愛して、与えてくださった私の栄光を、彼らに見させてください。正しい父よ、世はあなたを知りませんが、私はあなたを知っており、この人々はあなたが私をお遣わしになったことを知っています。私は彼らに御名を知らせました。また、これからも知らせます。私を愛してくださったあなたの愛が彼らの内にあり、私も彼らの内にいるようになるためです。」
今、お読みました祈りの中に、「知る」という言葉が、5回も出ています。ここでの「知る」には「知り続ける」という含みがあります。ヨハネ福音書が述べる「知る」とは知識ではなく、対象を受け入れるという姿勢があります。
ここでは、まずイエス様は私たちをイエス様のいる所へ共にいるように、イエス様の栄光を私たちにも見させてくださるよう祈り、次に父である神様がみ子であるイエス様を愛されたようにイエス様を信じた人々を愛されたこと、そして、この世の人々が、そのことを知ることができるように愛するみ子イエス様をこの世にお遣わしになったことを述べておられます。そのようなことを私たちが知り続け、受け入れることをイエス様は祈っておられます。
ここでは、神様とイエス様を結ぶ愛、イエス様と私たちを結ぶ愛、そして、神様と私たちを結ぶ愛、そのような関係が一つとなることを願い、祈っておられると考えます。
私たちは、この地上の生涯で、もっと深く神様のことを知り、イエス様のことを知って、神様と一つになっていくならば、ここでイエス様が祈っておられることが成就されるように思います。
そのように祈られるイエス様とはどのようなお方でしょうか? それは先ほど読んでいただいた本日の使徒書、ヨハネの黙示録22:13にこうある通りです。
「私はアルファでありオメガ、最初の者にして最後の者、初めであり終わりである。」
これはどういう意味でしょうか?
聖卓の左右のギリシャ文字をご覧ください。

聖卓の全面の左にアルファ(Α)、右にオメガ(Ω)の文字が刻み込まれています。ギリシャ語アルファベットの最初の文字がアルファ(Α)で、最後の文字がオメガ(Ω)です。聖書では、アルファ(Α)とオメガ(Ω)は、万物の最初と最後を意味し、天地創造の前から存在し永遠の存在者である主イエス・キリストを指しています。
本日は、オメガとしてのイエス様に注目したいと思います。万物を完成された方としてのイエス様。主が昇天して、神様の右の座に着いておられる。そのような姿こそが、私たち全人類の目標であって、それが私たちの向かっていくオメガ(最終地点)であり、そこにイエス様がおられるです。聖卓の左右のギリシャ文字はそのことを表しています。なお、真ん中のIHSはラテン語の Iesus Hominum Salvator の省略形で、「人類の救い主イエス」を意味しています。
イエス様はアルファでありオメガ、つまり最初で最後の者であり、さらにIHS、つまり人類の救い主なのであります。
そのイエス様と私たちの関係はどのようなものでしょうか?
それはこの後、奉献の時に歌う聖歌498に示されています。この聖歌は先日の埋葬式でも歌いました。聖歌498をご覧ください。1節にあるように、イエス様は私たちの主人であり、私たちを愛してくださっています。そして、2節にあるように、イエス様は天の御国からこの世に来られ、私たちの罪を贖うために十字架におつきになりました。キリストの十字架による救いです。さらに、3節にあるように天に昇られたイエス様は、天の御国の門を開いて私たちを招いてくださっているのです。それは先ほどのヨハネ17章24節の聖句「父よ、私に与えてくださった人々を、私のいる所に、共にいるようにしてください。」というイエス様の祈りの実践です。私たちが天の御国に招かれることができるのはイエス様の昇天のお陰なのであります。
説教の冒頭でお話しした高崎の教会墓地に納骨されたお二人は、主イエス様によって、また、ご家族や仲間の祈りに支えられて、今は天の御国でイエス様と共におられます。私たちもそれに続きたいと願うものであります。
皆さん、私たちの主イエス・キリストは次のように父なる神様に祈っておられます。
「父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。」
「父よ、私に与えてくださった人々を、私のいる所に、共にいるようにしてください。」
私たちはこれらの主イエス様の祈りの心を、私たちの心として、日々の信仰生活を歩み続けていきたいと願います。そうできるよう祈り求めて参りたいと思います。
父と子と聖霊の御名によって。アーメン